伊部菊雄(いべきくお)[Gショックの父]学歴・経歴・年収は?【アンビリバボー】

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今夜の『奇跡体験!アンビリバボー』に、G-SHOCK(Gショック)の生みの親、
伊部 菊雄(いべ きくお)さんがご出演されますね。
お名前の読み方は、「いべ」さんだそうです。日本語難しいですね。

全世界で累計出荷数1億本を超えるG-SHOCKはどうやって生まれたのか、
ブームのきっかけは日本ではなくアメリカから!?

そのG-SHOCKが生まれた経緯の簡単なまとめと、
カシオ計算機勤めの伊部さんの気になる年収を調べてみました。


 

学歴・プロフィールとG-SHOCK誕生秘話

プロフィール

名 前:伊部 菊雄
よ み:いべ きくお
誕生日:1952年生まれ
出身地:新潟県
出身校: 1976年 上智大学 理工学部 機械工学科卒
経 歴:同年、カシオ計算機株式会社入社
    時計設計部に所属
    1993年 時計商品部企画室長
    2017年 時計事業部アドバイザリー・エンジニア


出身高校も調べてみましたが、該当する情報がありませんでした。

ただ、気になったのが、「育ったのは都心だが、今は埼玉県の飯能暮らし」とおっしゃっていたので、生まれは新潟県ですが、東京に引っ越して東京育ちだと推測します。


 

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G-SHOCK(ショック)が出来るまで

1981年6月 G-SHOCKの開発がスタート
1983年4月 発売開始

当時、腕時計の設計部門に所属していた伊部さん。
設計は毎月1回、「新技術・新商品提案」という企画書を提出しなければならなかったそうです。

ですが、毎月毎月そう新しいアイディアは浮かびません。
そんな時、苦しまぎれに一言「落としても壊れない丈夫な時計」とだけ書いて提出しました。

するとその企画書が通り、G-SHOCKの開発がスタート!

「本来なら、開発スケジュールや、どう設計するかを書かなければいけないのに、
 一言だけ書いて出したら、それが通っちゃったんです、なぜか」


だそうです。
これにGOサインを出した上層部が、先見の明があった、ということでしょうね。

伊部さんは、
「 今思えば、よく破り捨てられなかったなと。
 売れる、売れないは全く頭になかった。後先考えず、思い先行で書いた 」

ともおっしゃっています。

ただ、この「落としても壊れない丈夫な時計」という発想には、元になるご自身の体験があったそうなんです。

当時、腕時計は「高価な精密機械であり、貴金属のような扱い」だったそうです。

ある日伊部さんが社内を歩いている時、他の人とぶつかってしまい、その衝撃で着けていた腕時計が落下してそのままバラバラに壊れてしまいました。

この時伊部さんは、この時の事を
「壊れてしまったショックよりも、常識だと思っていたことが現実に目の前に展開したことに、妙な話ですが、ある意味「感動」したんです。時計ってやっぱり、落としたら壊れるんだなぁ……って」
と後日語っています。

企画書を書いた時、伊部さんはこの体験を思い出していたそうです。


それから研究・開発が始まるのですが、困難の日々だったそうです。

たった一行の企画書でしたから、どんな造りにするかなど、案も何もありません。
試しに作った試作品を3階から落として実験を繰り返したそうです。

その実験で壊れないようにゴムで覆った腕時計は、ソフトボールほどの大きさになったそう。
そんなもの、着けられないですよね。笑

ここで研究の方向性を変えます。
ゴムは着けず(笑)、部品の強度を上げていったそうです。
詳しくは、落としたときに(ダイレクトに時計の中心部に衝撃が伝わるのではなく)、5段階で衝撃を吸収する仕組みにして、部品の強度を上げる方向で作ることにした、との事。

ですがこれも上手くいかず、どうしても電子部品が1つだけ壊れる
強度を上げても、1つだけ壊れるという現象が必ず起こる。

悩みに悩んで、ついに行き詰まってしまって、その次に考えたのは「会社をどうやめるか」だったそうです。

伊部さんは、こう語っています。
「考えた結果、思いついたのは『あと1週間、24時間×7日、起きてる時間も寝てる時間も全部考えてみよう』でした。とことん考えて、それだけ考えてもダメだったら終わりにしよう、と」

そして考え抜いた1週間、良いアイディアも浮かばず、とうとう日曜日が来てしまいました

日曜日、会社を辞めるため私物を全部片付けようと思って会社に行った伊部さん。
そこで未練があったのでしょう、また実験をしてしまったそうです。

昼食で外に出た後、会社に真っ直ぐ戻りたくなくて公園のベンチにぼんやり座っていたそうです。その時に目に飛び込んできたのが、子どもが「まりつき」をして遊んでいる姿


「そのとき、突然、あるイメージが頭に浮かびました。
 ボールの中に時計が浮いている絵が頭の中に浮かんだんです
 もしもボールの中に時計が浮いているとすれば、
 100メートルの高さから落としたって、
 中に衝撃が伝わらないから壊れない。
 そうか、浮いている状態を作り出せばいいんだ!
 と気がついて、これが決定的な解決策になったのです」





出典:
ITmediaビジネスオンライン「G-SHOCK 30TH INTERVIEW:30年経った今だから話せる、初代G-SHOCK開発秘話――エンジニア・伊部菊雄さん」(2020年5月21日現在)
https://www.itmedia.co.jp/style/articles/1210/22/news119.html

 

また、伊部さんは、著書もあります。
エンジニアとしてではなく、「仕事のやり方」をシンプルにまとめた指南書です。
 

ブームはアメリカから逆輸入!?


G-SHOCKが日本でブームとなったのは、発売されてから11年が経った1994年、この年に公開された映画『スピード』で、キアヌ・リーヴス演じる主人公が劇中で着用していたことからブームになったと言われています。

アメリカでの発売当初、「アイスホッケーのパック代わりにしても壊れない」というキャッチコピーでCMを流したそうです。
それが「誇大広告ではないか?」との声が多く寄せられ、テレビ番組で検証することに。

そこでプロのアイスホッケーの選手が、G-SHOCKを本気でスパーンと叩いてみるけれど、壊れない。

さらに番組では、トラックでG-SHOCKを轢いてみたけれど、それでも壊れなかった。

CMよりもこの番組のお陰で、消防士や警察官など、屋外での厳しい環境で働く人々に高く評価されたそうです。

その内、スケートボーダーやストリート系のファッションとして人気が出て、ついに日本で
「アメリカで流行っている時計、ストリートファッション系のG-SHOCK」
といったキャッチコピーで、輸入雑貨店などに並ぶように

元々日本製で、日本で売られている商品なのに、不思議な経緯で売れるようになったんですね。


1995~97年頃はG-SHOCKバブルで、「行列(ができるほどのヒット商品)という言葉のはしりだったと言われているそうです。


 

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年収とカシオの平均収入

冒頭にも書きましたが、累計出荷数が1億個以上にものぼるG-SHOCK。

G-SHOCKは、カシオの売上高の約3割を占め、利益率はなんと20%を超えるそうです!

2019年3月期の会社資料によると、カシオの売上高は2,982億円。
2008年3月期には、売上高6,230億円を上げていたそうです。

これの約3割がG-SHOCKの売上高と言われるので、
2019年度は約894.6億円(2008年度は約1,869億円)がG-SHOCKの売上高(推定)ですね。

2019年度の時計事業の売上は1,718億円なので、約52%半分以上がG-SHOCKという事になります。


また、2013年5月~2014年4月までの役員報酬総額ですが、
カシオの 樫尾 和雄 社長(※当時)の場合、
12億3300万円だったそうです。


……なのですが、カシオ計算機という会社勤めの伊部さんの年収は、目が飛び出るほどの高収入、という訳ではなさそうです。


では、一体どれくらいでしょうか?



有価証券報告書によると、カシオ計算機の平均年収は812万円

開発・エンジニア部門の開発職は、平均年収500万円~800万円。
部長クラスは、平均年収1,367万円(推定)。
ボーナスは年2回、2ヶ月分支給。

カシオの元社員の方の証言で、
「40代・業種:設計室、年収:950万円」
という情報もありますので、

93年に時計商品部企画室長だった伊部さんはこれ以上の年収だったと想定されます。


これだけ世界中で売上を上げているG-SHOCKですから、
開発者の伊部さんには「特別報酬」なんてものがあったかも? しれませんね。


 

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まとめ

 プロフィール 
名 前:伊部 菊雄
よ み:いべ きくお
誕生日:1952年生まれ
出身地:新潟県
出身校: 1976年 上智大学 理工学部 機械工学科卒
経 歴:同年、カシオ計算機株式会社入社
    時計設計部に所属
    1993年 時計商品部企画室長
    2017年 時計事業部アドバイザリー・エンジニア


 G-SHOCKが生まれたきっかけ 
毎月1回、新商品のアイディア企画書を提出しなければならなかった伊部さん。
毎回新しいアイディアが浮かぶはずもなく、苦しまぎれに一言「落としても壊れない丈夫な時計」とだけ書いて提出した企画書がなぜか通ってしまう
それから苦節2年の研究・開発を経て、公園で見かけた「子どもがまりつきをして遊ぶ姿」から「時計がちゅうに浮かぶ」というヒントを得て無事に開発、発売となったそうです。

 年収 
元設計室の40代カシオ社員が年収950万円。部長クラスは平均年収1,367万円(推定)。
ということは、 時計商品部の企画室長を務めた伊部さんは、1,000~1,300万円程度は年収があると推定。
G-SHOCKの生みの親といった功績で、特別報酬などがあったかもしれませんね。



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以上、「G-SHOCKの生みの親・伊部菊雄さん」についてまとめてみました。

いかがでしたでしょうか?

伊部さんは現在、完全受注生産、世界で限定35本770万円(税別)の金無垢モデルを最後に、G-SHOCKの開発からは離れているそうです。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!



 

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